
××年
裕福な家族のもとに、三人目の子供が生まれた。
父と母、そして二人の兄妹。
母のお腹に宿った命を、家族は心から楽しみにしていた。
毎日のように手を当て、優しく声をかけ、笑い合っていた。
三人目の名前も、すでに決めていた。
――けれど。
無事に生まれた赤子を見た瞬間、部屋の空気は凍りつく。
頬にも、腕にも、体中に浮かぶ紫色の痣。
母は何も言わなかった。
父も、兄妹も、誰一人として喜ばなかった。
そしてその子は――名前を与えられなかった。
存在はあるのに、名がない。 それが始まりだった。
××年
名のない子供は、家の中で静かに切り離されていく。
食事は固いパンだけ。
他の家族は温かい料理を囲み、楽しそうに笑っている。
着る服は、ボロボロの白い服だけ。
兄妹は色鮮やかな服を身にまとっている。
同じ屋根の下にいるのに、世界は別だった。
母が兄妹の頭を撫で、抱きしめる姿を遠くから見つめながら、胸が締めつけられる。
「ああ……なんで僕には、してくれないんだろう……」
ある日、転んで怪我をした。
傷口から流れたのは赤ではなく、〝紫色の血〟。
それを見た母は、わずかに微笑んで言った。
「……自分で手当てしてみる?」
優しそうな声なのに、触れてはくれない。
「母さん……どうして?」
問いは、空気に溶けた。
××年×月×日
外が騒がしい。
窓をのぞくと、家の前に大勢の人々が集まっていた。
紫色の痣は〝生まれつきの悪魔痕〟
だという噂が、街中に広がっていた。
その噂を流したのは――
母だった。
「この子は〝悪魔〟よ」
捨てるための言葉。
人々の視線が突き刺さる。
「悪魔だ!」
「出ていけ!」
「気持ち悪い!」
「キモい!」
「悪魔は外へ行ってくれ!」
「ちがう……僕は悪魔なんかじゃない……!」
叫びは届かない。 そのまま、強制的に連行された。
「母さん、父さん、どこ……?
暗いよ……寒いよ……なんでいないの……?」
振り返っても、誰も来なかった。
連れて行かれたのは、家から離れた深い地下。
研究施設のような場所。
無数の監視カメラが張り巡らされ、逃げ場はない。
やがて知る。 自分は、捨てられたのだと。
心の奥で何かが壊れる。
地下の手下たちにより、苦痛を与えられる日々。
暴力。
恐怖。
孤独。
「怖いよ……痛いよ……暗いよ……助けて……苦しい……」
過去を思い出すたび、不安と憎悪が募る。
「なぜ私をうそつくの……?兄妹とは違うから……?なぜ……なぜ……なぜ……?」
問いはやがて呪いに変わる。
「……もう、本当にここで死んで解放されたい……生まれ変われるのなら……」
××年
“悪魔”として、強制死刑を言い渡される。
その様子を見るために、家族はわざわざ地下まで来ていた。
その顔に、悲しみはない。
ただ、冷たい目。
刃が振り下ろされる。
首から流れ落ちたのは紫色の液体だけではなかった。
〝赤い血〟も混ざっていた。
それは、本当の〝人間〟だった証。
「だから言ったじゃん……赤い血があるじゃん……」
初めて涙が溢れる。
「……まあ、ここの地獄から解放されてすっきりしたけど……
私が悪魔だから天国に行くわけないか」
視界が黒く染まる。 そのとき、声が聞こえた。
「君には生きる意味がないよ。幸せにはなれないよ。“一生”だよ」
母親たちの嗤うような声。
それが最期だった。
気づけば、どこなのか分からない何もない場所。
肌は真っ黒に染まり、瞳が増え、角が生える。
紫色の髪が揺れ、鋭く美しい尻尾が伸び、黒い液体が滴る。
嫉妬と憎悪の負の感情が形を成した存在。
それが――
テル。
愛されている人間はもういらない。
潰したい。
消えてほしい。
見るだけで腹が立つ。
「憎い……憎い……憎い……憎い……憎い!!!!」
「お前らも愛されず、辛い目にあってやる!!!!」
爪で引き裂き、心のガラスはひび割れていく。
それでも、奥底に残る本当の願い。
「自分だけの『愛』が欲しかった」
紫色の涙が、静かに零れ落ちる。